京都五山の送り火。
「お母ちゃんの姿、声、指先、折に触れ浮かんでくる。困った時、いつも引き上げてくれた事忘れない。子供六十過ぎになるまで、一緒にいてくれた事に、ただただ感謝」
今日姉から来たLINEです。
母は献体を希望したので、まだお骨にはなっていません。
初盆(新盆)をしていいものかどうかと姉や弟と話して、結局7月の会だけをすることにしたのですが、やはり、何もしないのは淋しいなぁと思って私たち姉弟それぞれにちょっとだけ自分たちの場所で「それらしい」ことをしました。
弟は自分の店に置いてある母の遺影の周り(弟いわく仏壇もどきだそうです)を綺麗に飾り付け(写真を送ってくれました)、私は豚みたいな牛やポニーみたいな馬を作りました。
姉はたくさん母のことを想ったようです。
弟は父のためにも京都の自宅の仏壇やお墓に花を供えてくれました。
私はそんなに信心深い方ではありませんが、京都生まれなので五山の送り火を毎年のように見て育ちました。亡くなった人がお盆に帰ってきやはるんやで、といろんな人から言われて「ふ〜ん」と不思議な気持ちで聞いていました。
以前書いたかもしれませんが、大文字山を犬文字山にする会を作ろうと盛り上がったことがありました。高校1年生の頃かな。ずっと隠れていて、火が灯された瞬間に出て行って「犬」の字の点の部分に松明をつける、いや、サーチライトがいい、とか、話しては友達と笑い合っていました。もちろん実行に移したことはありませんけど。笑
毎朝普通に母と話をしているので、母が遠くへ云ってしまったとは実はあまり思っていないのですが、足や指をマッサージしてあげられないことが急に悲しくなる時があります。ドワっときます。触ってあげられないのはやっぱり辛い。
「送り火」。
まだ送ってあげられない気持ちのまま明日がやってきます。